イベント情報
スーパー耐久レース2012(第4戦)岡山国際サーキットに行って来ました!
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8月23日(木)から26日(日)の日程で、『スーパー耐久レース2012 第4戦』を戦う為に、岡山国際サーキットに行って来ました。
スーパー耐久レースとしては、少し長めの中休み後の久々のレースとなり、私としては・・・2週間の間にK4-GP(富士1000q)→S-GT(鈴鹿ポッカ1000q)→S耐(岡山3時間)と、サーキット移動距離が短くてマシではありますが、かなり連続で耐久レースをこなしています。
私が担当する#38は、現在シリーズをトップと1ポイント差で2位に着けています。今回の岡山国際サーキットは、私も走りなれたコースですので作戦が立てやすく、そして何よりドライバー陣全員(Aドラ藤村選手、Bドラ藤田選手、Cドラは岡山マイスターの呼び声が高く、#38には今年のもてぎ戦でも搭乗して貰った長野賢也選手)が、この岡山国際サーキットを、ホームコースと言っても過言ではない程に走りこんだコースですので、地の利を生かしたレース展開で、少しでも上位を狙うべく、今回はいつもより1日早い木曜日の朝から、設営&レース準備の為に移動しました。 -
今回の岡山戦は、TRACY SPORTSさんの地元大阪に近いだけあって、TRACYメンテナンスのエントリーは、クラス3のIS350&NSXの2台、クラス4のS2000は3台と合計5台!なのに・・・メカニックの増員はほとんどなく(涙)私は担当の#38を、学生さんを使いつつ、ほぼ1人でサーキットメンテナンスをこなすと言う、かなりハードな週末となりました。
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24日(金)は『フリー走行日』です。
この日はスーパー耐久レース専有走行として、1時間×3回の走行時間が予定されていましたので、最初の1時間は中古タイヤで、ドライバー3人がマシン&サーキットに馴れる為の時間としました。
2回目の走行枠は、ニュータイヤを使った予選想定のセット確認をメインに進め、この枠でクラストップタイムの1分45秒6を確認、幸先の良い上出来な結果で終了しました。
3回目の走行枠は、決勝のPIT OUT後の想定で、重いガソリン&中古タイヤで、決勝想定タイムの確認に終始しました。
無難にまとめた1日でしたが、今回Cドラで搭乗する長野賢也選手が、熱中症の症状で体調が優れない事が不安材料として残りましたので、なるべくドライバーが快適に過ごせるように、外気導入ファンの設置や、メッキステッカーでルーフ部分を貼ったり等の作業も並行して行いました。 -
そして、もう1つの心配は・・・スロースターターなAドラ藤村選手が、いつものようにタイムが伸び悩んでいる事ですが、藤村選手と付き合いの長い私は、すでにこの状況に慣れてしまって(笑)データロガー解析&走行ビデオを参考に、監督や他のドライバーさん達にドライビングの修正&再確認を任せます。
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25日(土)は『予選日』です。
まずはAドラ予選から。クラストップタイムが44秒9に突入し、45秒台にも8台入る激戦の中、藤村選手は前日から修正させたドライビングを、キッチリとタイム短縮に生かせて、45秒3でクラス4番手とします。 -
次に行われたBドラ予選は、44秒台に4台も入るという、より激戦となりました。ここで藤田選手は、44秒9という好タイムで4番手とし、Aドラ&Bドラの合算タイムにより、決勝グリッドも4番手からのスタートを決定させました。
続いて行われたCドラ予選では、やはり体調の優れない長野選手ですが、この予選にある程度のタイムで走らないと、翌日の決勝には参加出来ないので、数LAPのみ無理に搭乗して貰いました。ここでそれなりのタイムは出るものの、やはり不安材料を払拭する結果では無く、この走行後に病院で診察して貰う為にサーキットを後にします。 -
予選後は、私は長野選手の体調を考えた、作戦の変更も視野に入れつつ色々と計算を重ねます。
同時にマシンの整備もこなしていきます。
そして、レースウィークの毎日で、確認しない日が無い、最重要パーツである「ブレーキ」のトラブルが決勝中に出るなんて、この時は想像もしませんでした。 -
そして、私が忙しくメンテナンスしている間、PIT裏ではドライバーさん達が皆で、お昼寝している事も・・・想像もしてませんでしたが、証拠写真がwww
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26日(日)は『PITウォーク』から。
「#14 岡部自動車マイロード協新計測 RX-7」とレースクイーンさん達。 -
「#38 TRACY SPORTS S2000」の藤村選手とレースクイーンさん達。
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ここは・・・w 「#116 W.S ENGINEERING S2000」と、吉田選手の仲良し夫妻。ノリノリですね!
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そして、レースは『3時間決勝レース』へと進みます。
(写真は左から Cドラ 長野賢也選手、Aドラ 藤村政樹選手、Bドラ 藤田竜樹選手)
私の作戦は、まだ体調に不安を残すCドラを間に挟む、B(ロング)→C(ショート)→A(ロング)で、CからAのPIT作業でタイヤ4本交換という作戦としました。この作戦の場合、スタート直後に追い越し禁止のSC(セーフティーカー)が入るような事態になった場合、後の作戦にかなりの不安要素が残るのですが、こうしなければ他の不安も多く残るので、SCが出る事態をなるべく考えないようにして、レースのスタートを迎えました。 -
ローリングスタートから、無事に1コーナーの進入を見送った直後に、一番考えたく無かった「SC」ボードが提示されます。
無線で状況を確認しますが、バックストレートで同チームの#70 NSXと#339 S2000、他にも#5 Z34が絡んだクラッシュが有った模様で、そのクラッシュに伴う黄旗(当該コーナーの追い越し禁止)の影響で、同チーム#39 IS350に#34のZ34が接触&オレンジボール(PITに戻っての修理義務を促す旗)の提示がされます。PITがごった返す中、#38はその後の作戦を考えて、一度はSCの走行に続くように指示をしますが、この間に監督が体調の優れないCドラ 長野選手と、彼の走行をスルーさせる事を話し合って貰い、了解を得てから、一応は用意していた作戦に急遽変更。
5LAP目にPITにマシンを入れて、Bドラ 藤田選手からAドラ 藤村選手に交替させ、給油を済ませてマシンをコースに戻します。こうする事で、SCの遅い速度での周回中に、2回の義務PIT作業のうちの1回を、時間的損失を最小限に済ます事に成功して、同作戦を用いた#72、#95と共に他チームにアドバンテージを築きます。そして、SCランの読み違いでか#333はSC解除となった6LAP目にPITに入り、少しのポジションダウンを喫します。
藤村選手には、作戦変更からロングドライブになる事を伝えつつ、2回目のPITタイミングや、給油時間の再計算を進めます。この時、ポジションを10位から、13LAP目に9、14LAP目に8、22LAP目に7・・・と、早めのPIT作戦が功を奏してか、徐々にポジションを上げて行く事に成功します。 -
他チームは、まだ1回目のPITのみの55LAP目に、#38はポジション2位で最後の義務PITとなる2回目のPIT IN。Aドラ 藤村選手から、もう一度Bドラ 藤田選手に交替させ、給油&タイヤ4本交換をします。が・・・ここで、私が担当する右フロントタイヤのボルトのカラーが、熱で溶けて外せないトラブルが発生しますが、岡山国際サーキットで一番使わない右フロントタイヤという事で、咄嗟の判断で右前のみ交換を止めて、結果3本交換のみでマシンをコースに戻しました。
ポジション5。上位チームの残りの義務PITのロスタイムを計算すれば、暫定順位が1〜2位という事で、タイヤのコンディションの良いうちに、目の前の#333の攻略を指示します。見事攻略に成功し、他チームのPIT作業もほぼ落ち着いた77LAP目、ポジションを2位(1位の#62は最後のPIT作業を残した状態)としながらも、Bドラ 藤田選手から「ブレーキが抜けて来ました!」と、悲痛な無線が入ります。
熱によるブレーキトラブルだと思い、ドライビング方法を変更して貰いつつ、様子を見ますが・・・状況は悪化していくようです。ここでペースを大幅にダウンしてでも、無事にマシンをコースに留め、ポイントを少しでも取るように作戦を変更します。この難しい注文に、見事に応えてもらった結果、なんとか5位で3時間94LAP目のチェッカーをくぐる事が出来ました。
レース後にマシンを確認した所、左リアブレーキホースに破損が有り(2回のPIT作業時にはホイールにオイルの付着が無かった事から、2回目のPIT後に走行振動か、タイヤカスの接触かのトラブルが予想されます)、ブレーキオイルが漏れ出した事が確認出来ました。このような状況で、接触も無くレースを無事に終えてくれたBドラ 藤田選手に感謝すると共に、急な作戦変更で超ロングなドライブを敢行したAドラ 藤村選手、その作戦変更に「チームに有利に働くならば」搭乗を急遽取り止めてくれたCドラ 長野選手に救われた5位完走だと思いました。
今回のレース結果だけを見れば、表彰台目前での5位陥落で悔しい思いも有りますが、私としてはエンジニアとしても、メカニックとしても非常に勉強になったレースだと思います。
#38としても、このような重トラブルをなんとか乗り切った5位の8ポイントが、残り2戦を残してまだシリーズ2位に留め、最後の最後まで自力でのシリーズトップを狙える位置にいる為に、必要な週末だったと思えるよう、残り2戦の鈴鹿&オートポリスを全力で戦い抜けるように努力を重ねますので、より一層の応援をよろしくお願い致しますね!!